【辞讓(ジジョウ)の心は、禮(レイ)の端(はじめ)なり。】と読みまして、譲りあう心は礼の芽生えである、という意味です。
【禮】は、孔子が説く「仁(思いやり)」という内面の心のあり方を、社会生活で具体的に表現するための行動規範や儀式、そして社会秩序そのもの、だそうです。
出典は『孟子』公孫丑章句上です。
無惻隱之心,非人也。
惻隱(ソクイン)の心なきは、人に非(あら)ざるなり。
あわれみの心がないものは、人間ではない。
無羞惡之心,非人也。
羞惡(シュウオ)の心なきは、人に非(あら)ざるなり。
惡をはじにくむ心のないものは、人間ではない。
無辭讓之心,非人也。
辭讓(ジジョウ)の心なきは、人に非(あら)ざるなり。
譲りあう心のないものは、人間ではない。
無是非之心,非人也。
是非(ゼヒ)の心なきは、人に非(あら)ざるなり。
善し悪しを見分ける心のないものは、人間ではない。
惻隱之心,仁之端也、
惻隱(ソクイン)の心は、仁(ジン)の端(はじめ)なり、
あわれみの心は、仁の芽生えであり、
羞惡之心,義之端也、
羞惡(シュウオ)の心は義(ギ)の端(はじめ)なり、
惡をはじにくむ心は、義の芽生えであり、
辭讓之心,禮之端也、
辭讓(ジジョウ)の心は禮(レイ)の端(はじめ)なり、
譲りあう心は、礼の芽生えであり
是非之心,智之端也。
是非(ゼヒ)の心は、智(チ)の端(はじめ)なり。
善し悪しを見わける心は、智の芽生えである。
人之有是四端也,猶其有四體也。
人の是(こ)の四端(シタン)有るや、猶(なお)其の四體あるがごときなり。
人間にこの四つ(仁義礼智)の芽生えがあるのは、ちょうど四本の手足と同じように、
生まれながらにそなわっているものなのだ。






























