【殃(わざわ)い池魚(チギョ)に及(およ)ぶ。】と読みまして、関係のない者がまきぞえになって、思いがけない災難にあうことのたとえです。
出典は『呂氏春秋(リョシシュンジュウ)』の孝行覧・貴因(キイン)」篇です。
城門失火、
城門(ジョウモン)失火(シッカ)し、
城の門が火事になった際
殃及池魚。
殃い池魚に及ぶ。
(人々が消火のために池の水を汲み出した結果、)
池の水が枯れて魚が死んでしまった。
此言聖人之所貴、
此(こ)れ聖人(セイジン)の貴(たっと)ぶ所(ところ)は、
この話は、聖人が物事を行う上で大切にすることは、
在於知因。
因(ちなみ)を知るに在(あ)りと言う。
間接的な影響(原因と結果のつながり)を理解することにある、ということを示しています。






























