【憤(いきどお)りを發(ハッ)して食(ショク)を忘(わす)る。】と読みまして、食べるのも忘れて打ち込む、という意味の言葉です。
出典は『論語』述而篇です。
葉公問孔子於子路。
葉公(ショウコウ)、孔子を子路(シロ)に問う。
楚の、葉公が、孔子の人となりを子路に訪ねました。
子路不對。
子路対(こた)えず。
子路もさすがに答えかねていました。
子曰、
子日く、
(その話を聞いた)孔子が言いました、
女奚不曰、
女(なんじ)奚(なん)ぞ日わざる、
どうしてお前は言わなかったのだ、
其爲人也、
其の人と為(な)りや、
その人柄は、
發憤忘食、
憤(いきどおり)を発して食を忘れ、
興奮すると食事も忘れるが、
樂以忘憂、
楽しみて以て憂いを忘れ、
楽しむときは憂いを忘れ
不知老之將至云爾。
老の将(まさ)に至らんとするを知らざるのみと。
老いが迫るのも気づかない人だと。






























