【金聲(キンセイ)して玉振(ギョクシン)するなり。】と読みまして、始まりと終わりが整っている様を言った言葉です。
古代中国は、音楽を奏する時、まず鐘を鳴らして音楽を始め、終わりには玉石で作った「へ」の字に曲がった打楽器、磬(ケイ)と言いますがこれを打ってしめくくりました。
出典は『孟子』萬章章句下です。
孟子曰、伯夷聖之淸者也、
孟子曰く、伯夷(ハクイ)は聖の淸なる者なり、
孟子が言いました、伯夷は聖人の中でもとくに清廉潔白な人であり、
伊尹聖之任者也、
伊尹(イイン)は聖の任なる者なり、
伊尹は聖人の中でもとくに責任感の強い人であり、
柳下惠聖之和者也、
柳下惠(リュウカケイ)は聖の和なる者なり、
柳下惠は聖人の中でもとくに調和の心の豊かな人であり、
孔子聖之時者也。
孔子(コウシ)は聖の時なる者なり。
孔子は聖人の中でもとくに時の宜しきに従って正しく行動した人である。
孔子之謂集大成。
孔子は之を集めて大成せりと謂ふべし。
ゆえに孔子こそ、すべての德を集めて大成した人というべきである。
集大成也者、金聲而玉振之也、
集めて大成すとは、金聲して玉振するなり。
集めて大成するというのは、音楽を奏するときに、
まず鐘を鳴らしてはじめ、さいごに玉磬(ギョクケイ)を打ってしめくくりをつけることである。
金聲也者、始條理也、
金聲すとは、條理を始むるなり、
はじめに鐘を鳴らすのは、條理(すじ)の一糸乱れぬ調和を合奏し始めるものであり、
玉振之也者、終條理也、
玉振すとは、條理を終うるなり、
磬(ケイ)を打ってしめくくりをつけるのは、條理をまとめて合奏を終わるのである。
【金聲して玉振するなり。】は特に、孔子が完成された人格であることを、孟子がたたえた言葉です。
音楽に擬(なぞら)えて、孔子が智と聖を兼ね備えて大成した人であることを説いたものです。






























