【痛(いた)み骨髓(コツズイ)に入(い)る】と読みまして、痛みが骨のシンまで染み通る、という意味で痛恨の思いの甚だしいことを言います。
出典は『史記』仲尼弟子列伝第七です。
春秋時代、越王勾践が「会稽の恥」について子貢に語り、雪辱の方途を尋ねた場面で用いられました。
句踐頓首再拜曰
句踐、頓首(トンシュ)再拝して曰く、
越王勾践は頭を地につけ、再拝して言った
孤嘗不料力,
孤、嘗て力を料らず、
私めは、かつて身の程知らずにも
乃與吳戰,
乃ち呉と戦い、
呉と戦い、
困於會稽,
会稽に困しみ、
会稽でひどい目に遭い、
痛入於骨髓,
痛み骨髄に入り、
痛恨の情は骨髄に徹している、
日夜焦脣乾舌,
日夜唇を焦がし舌を乾かす、
それからというもの、日夜唇を焦がし舌を乾かして思い悩み、
徒欲與吳王接踵而死,孤之願也。
徒だ呉王と踵(くびす)を接して死せんと欲す、孤の願いなり。
ただ、呉王を殺して自分も死のうと思っている、これが私の願いだ。