【意(イ)の廣(ひろ)き者は、斗室(トシツ)も寛(ひろ)きこと兩閒(リョウカン)の若(ごと)し。】と読みまして、心の広い人は、ごく狭い部屋でも、天地の間のように広いと思う、という意味です。
出典は『菜根譚』後集18条です。
延促由於一念、
延促(エンソク)は一念に由(よ)り、
年月を長いと思ったり、短いと思ったりするのは、その人の考え方に基づくものであり、
寛窄係之寸心。
寛窄(カンサク)はこれを寸心(スンシン)に係(か)く。
世間を広いと思ったり狭いと思ったりするのは、その人の心の持ち方に係っている。
故機閒者、
故に機閒(キカン)なるものは、
だから、心のはたらきのゆったりしている人は、
一日遙於千古、
一日も千古より遙かに、
わずか一日でも千年よりもはるかに長いと思い、
意廣者、
意廣きものは、
心の広い人は、
斗室寛若兩閒。
斗室も寛くして兩閒のごとし。
ごく狭い部屋でも、天地の間のように広いと思う。