【日(ひ)に一日(イチジツ)を愼(つつし)む】と読みまして、その日その日に謹慎して、きょうはきのうより、明日はきょうよりと謹慎を重ねる、という意味です。
それが結局は一生を通じての修養となるそうです。
出典は『淮南子』主述訓です。
『淮南子』では、尭・舜・禹・湯・文・武が 【日に一日を愼む】生活を送っていた、と記載されています。
堯舜禹湯文武,
堯(ギョウ)舜(シュン)禹(ウ)湯(トウ)文(ブン)武(ブ)は、
堯、舜、禹、湯、文、武は、
皆坦然天下而南面焉。
皆、天下に坦然(タンゼン)として南面す。
平然と南面して天下に君臨していた。
當此之時,
此の時に當(あた)りて,
この当時においては、
鼛鼓而食,
鼛(コウ:おおつづみ)を鼓(う)ちて食(くら)ひ,
鼛を打つことを合図に食事をはじめ、
奏雍而徹,
雍(ヨウ)を奏(ソウ)して徹(テッ)し,
雍の奏樂を合図に膳をさげ,
已飯而祭竈,
已(すで)に飯(ハン)して竈(ソウ:かまど)を祭る,
食事が終われば竈をまつる、
行不用巫祝,
行に巫祝(フシュク)を用(もち)ひざるも,
外出の折に巫祝に祈らせることはしないが、
鬼神弗敢祟,
鬼神も敢(あえ)て祟(たた)らず,
鬼神の祟りもなく、
山川弗敢禍,
山川も敢(あえ)て禍(わざわい)せず,
山川の神が禍いすることもなかったのは
可謂至貴矣。
至貴(シキ)と謂(イ)ふ可(べ)し。
まこと尊貴の極地というべきであろう。
然而戰戰慄栗,
然(しか)れども戰戰慄栗(センセンリツリツ)として,
しかし、それでもなお戦々恐々として、
日慎一日。
日に一日を慎む。
日々にその慎みを加えたのであった。