【福(フク)の生(ショウ)ずる基(もと)有(あ)り、禍(カ)の生ずる胎(はじ)め有り。】と読みまして、禍福の生起には、必ずそれをもたらす何等かの原因がある、という意味です。
出典は『文選』枚乘・上書諫呉王書です。
  福生有基、禍生有胎。
  福の生ずる基有り、禍の生ずるも胎め有り。
     幸福が生れるにはその根源がありますし、災害が起こるにも必ずその起源があります。
  納其基、絶其胎、禍何自來哉。
  其の基を納(い)れ、其の胎めを絶(た)たば、禍い何に自(より)てか來(き)たらん。
     その幸福の根源を受け入れ、災害の起源を断ち切るならば、禍福はいったいどこから
     起ることがありましょう。決して起ることはないのです。
  泰山之霤穿石、殫極之綆斷幹。
  泰山の霤(リュウ)石を穿(うが)ち、殫極(タンキョク)の綆(コウ)幹(いげた)を斷(た)つ。
     泰山の雨垂れは石を穿って穴を開け、使い込まれた釣瓶縄は井戸の井桁を断ち切ります。
  水非石之鑽、索非木之鋸。
  水は石の鑽(きり)に非(あら)ず、索(なわ)は木の鋸(のこぎり)に非ず。
     水は石に穴を開ける錐ではありませんし、縄は木を切る鋸でもありません。
  漸靡使之然也。
  漸靡(ゼンビ)之をして然(しか)ら使むるなり。
     しかし、次第に擦り減らしていってこのようにしてしまうのです。













 
 

















