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復興への思い

「先達に学ぶ鎮魂と復興」 元福島大学経済経営学類教授 西川和明

元福島大学教授・西川和明さん

 福島大学評議員、統括学系長 経営学系長 経済経営学類教授。財団法人国際貿易投資研究所客員研究員、福島県卸売市場審議会会長、放送大学非常勤講師
 1951年生まれ。鹿児島県出身。青山学院大卒。日本貿易振興会(ジェトロ、現・独立行政法人日本貿易振興機構)入会、通商産業省貿易局課長補佐(国際交渉担当)などを経て、1995年12月にジェトロ福島貿易情報センター所長。2000年4月、福島大経済学部教授に就任。中小企業経営論を担当。
    
 

■元福島大教授・西川和明


  

    糸川英夫
氏の日の丸ロケット開発

 

  私は、昨年の終戦記念の日に、南九州の薩摩半島にいました。元、特攻隊基地のあった南九州市知覧の特攻平和会館です。436名の若者が特攻隊員として知覧の陸軍の飛行場から飛び立ち、南の海に散って行きました。特攻平和会館の中には海軍の「ゼロ戦」と並ぶ名機と言われた陸軍の「隼」が展示されていました。隼は特攻機として知覧から120機が飛び立っていきました。

 その前日には鹿児島県のもう一つの半島である大隅半島の南端に立っていました。その隼の設計者でもあり、今でも日本の“ロケットの生みの親”と言われる今は亡き糸川英夫東大教授がかつては立っていたであろう場所です。そこは、南に向かって270度に海の広がる岬の最南端で、今でもJAXA(宇宙航空研究開発機構)の内之浦宇宙空間観測所のあるところで、傍らには宇宙探査機「はやぶさ」を打ち上げた発射台がそびえています。

 ロケット発射場というと種子島が有名ですが、糸川教授が全国を調査して最終的に決定し建設された内之浦宇宙空間観測所は、1963年の完成以来27個の衛星や探査機を打ち上げて来ました。地元の小学校に通っていた私は糸川教授が体育館で話された講話を聴いたことがあります。

 糸川教授は、この岬の先端に立って、自分が設計した隼で多くの若者が散った南の海の方向を眺め、科学技術を平和のために使うことを誓ったのではないかと、思いを馳せました。なぜならば、糸川教授は戦時中、人が乗って体当たりする神風特攻隊に反対し、無人で飛ばす飛行機を開発しようと軍に強く提案していたと言われています。自分の設計した戦闘機隼が特攻隊に使用されたことへの苦悩はいかばかりだったでしょう。

 九州の南端ともいえる内之浦の観測所で糸川教授をヘッドとする開発チームはロケットの研究開発を進め、ついに1970年2月11日、ラムダロケットによって日本で初の人工衛星「おおすみ」を無事軌道に乗せました。旧ソ連、米国、フランスに次ぐ4番目の人工衛星打ち上げ国となりました。

 

  赤澤璋一氏の日本産業復興


 内之浦の岬に立って、もう1人の人物も頭に浮かんできました。この海のはるかかなたに同じく太平洋戦争の戦地となった南太平洋があります。私が長年勤務したジェトロ(日本貿易振興機構)で83年から6年間理事長を務めた赤澤璋一氏です。赤澤氏が乗艦する戦艦「比叡」は第3次ソロモン海戦において、1942年11月にガダルカナル島沖で米軍の猛攻を受けて沈没しました。赤澤氏はその生き残りの一人です。九死に一生を得た赤澤氏は戦後、通産官僚として日本産業の再興に尽力します。中でも「YS-11」の開発は特筆に値する業績と言えます。
 1955年に航空機武器課長に就任するや、航空機開発がGHQによって禁止されて以降10年が経って、「今のままだと日本の航空機産業は衰退する」と考え、翼をもぎ取られて全国に散った航空技術者を招請します。当時、かつて日本の名機を生み出した技術者たちも50代を迎えていました。赤澤氏は彼らに後世の指導を託します。名だたる企業から集められたものの、飛行機の設計を全くやったことのない若者たちが徹底的に「オン・ザ・ジョブ」で鍛えられ、そして、彼らがYS-11を設計しました。この若手設計者たちがYS-11完成後はそれぞれの会社に戻り、日本の産業発展に大きく貢献したことは言うまでもありません。

 NHKのテレビ番組「プロジェクトX」でYS-11の開発が取り上げられた時に、予算の少なさに苦悩していた赤澤氏が、奇策を思いつき、それで成功したことが放映されていました。その奇策というのは、実際にどういう飛行機ができるかというのを見てもらうために木を使って実物大のYS-11を作ったということでした。実際に中にも入って座ってもらって日本の飛行機を実感してもらおうというとんでもないアイデアでした。中の座席は西陣織などで豪華な本物と変わらない座席をしつらえたもので、尾翼に大きな日の丸を描いた写真も放映されていました。写真には尾翼のスペースからはみ出しそうなぐらいに異様に大きな日の丸が写っていました。この大きな日の丸こそが赤澤氏の狙いだったと思います。終戦から10年以上が経過し、日の丸をブランドにした飛行機が世界の空を飛ぶ・・・・そんな夢を政界や産業界の指導者たちに見てもらいたかったのでしょう。披露式には政府の重要人物などが招待され、当時の高崎通産大臣が大いに感動し、それで赤澤氏は予算獲得にこぎつけたというものでした。

 私はジェトロの職員だったときに南太平洋諸国への経済交流ミッションで団長である赤澤氏に同行し、ガダルカナル島のあるソロモン諸島などを訪問したことがあります。私は秘書的な役割を仰せつかり、まさに寝食をともにしながら赤澤氏から多くの薫陶を得ました。赤澤氏がよく言われていたのは「今の日本の繁栄は戦争中に亡くなった多くの人たちの魂で支えられている」ということでした。

 この言葉を思い出すたびに、糸川教授のこととも重なります。糸川教授も自分の設計した戦闘機で多くの若者が特攻隊員として出撃して行ったことに胸を痛めていました。赤澤氏は乗艦戦艦・比叡の撃沈などで多くの戦友たちの死を見ていました。この二人の先達は、多くの死を無駄にすることではなく、それをバネに戦後の日本の科学と産業を飛躍的に発展させたと思います。

  死を無駄にしない

 

                

 東日本大震災で1万6千人近い方が亡くなられ、未だに4千人を超える行方不明者がいます。これほどの犠牲者が出た大震災、そして、原発事故で避難している人たちは11万人にも及びます。自分の家があるのに帰れない人たち、その無念さがしのばれます。

 戦争と大震災では質が異なりますが、失われた人の命は同じく尊いものであり、戦死した人たちの死を無駄にすまいと新生日本の誕生に努力した二人の先達の努力は尊いものだと思っています。そして、このたびの大震災で亡くなられた人たちのためにも、「新生・福島」「新生・東北」のために努力しなければならないと、九州南端の岬で二人の先達をしのびながら思いました。

 

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